「昔話 ②」
- 2020/06/12
- 12:58
大好評?につき(笑)、今回も私の昔話を。
今回は小学校3年~6年までの4年間。
野球部編。
小学3年になるとそろそろクラブ活動を、という事で私は剣道をやりたくて剣道部を志望。
ところが、剣道は頭を叩かれるからバカになる!
という祖父と親父の訳のわからない言い分で却下。
おまけに胴着は高く、そんなお金…
野球なら兄貴がやっていたため、グローブもバットもユニフォームも揃ってました。
そして強制的な野球部生活が始まります。
3年、4年あたりはほぼほぼ球拾いなので、そんなにキツくもなく、ストレスも皆無。
ところが5年になったあたりから、練習は毎日、本格的なバッティング練習や守備練習も。
同級生の野球部は多かったのですが、この辺りで3~4人は辞めました。
6年になるとメインで使われる為、その前に私も辞めようと思ってました。
が。
一度やりだした事をやめるだ?
と親父が激怒。
まぁボッコボコですわ。
やりだしたんじゃない、やらせられてるんだ!
子供ながらにそう思ってましたが、小学生なんて無力なもんです。
キャプテンの張り切った感も私には全く合いませんでしたし、そもそも俺より弱ー奴が何キャプテンとかやってんだよ!とか思ってましたw
走ったんか? タイヤ引きしたんか? などのやらされてる感でブチギレ。
誰に言ってんだ!
やりたきゃ勝手にやれ!
と練習はサボる。途中で帰る。
それを家までコーチが迎えに来てはまた強制練習。
それを親父に知られてはボッコボコ。
ところが、人数合わせなのか、奇跡?なのか、これだけやる気が無く、練習をサボっていても、なんとレギュラーになってしまったのです。
レギュラーになりたくてみんな必死で練習してるんでしょうが、私は違いました。
レギュラーで試合に出れば、エラーするかもしれない、三振やミスもするかもしれない。
そうなれば無駄に怒られることになる。
無駄な事を無理やりさせられ、無駄な練習、無駄な時間を費やし、無駄に怒られたのではたまったもんじゃありません。
補欠なら100%ミスする事はない = 怒られることもない。
ベンチでこの図式を狙っていたのにレギュラーって・・・。
私以外は、益々練習に熱が入ってきます。
スクイズを失敗した私に顔面ボール直撃をやってきたコーチ。
目ぶち腫れですが、親からは「下手くそ!」と言われる始末。
そんな時代ですよね(笑)
このコーチ、監督、いつかコ〇ス!
本気でそう思ってました。
書いてる今も怒りがこみあげてくるのは、当時の無力さからなのでしょう笑
今だから言える事。
当時の私は、野球が嫌で嫌で、なんと10円ハゲになりました。
ま、ストレスですね。
それでも辞める事ができなかった野球。
そんな時大事件は起こります。
小学6年。
県大会出場をかけた夏の地区予選。
相手はウチが今まで一度も勝った事のないチーム。
練習試合ですら足元にも及ばなかったのですが、この日、なんと途中まで3対2で勝ってました。
そして迎えた6回。
ツーアウト、ランナー二三塁。
痛烈なライトゴロ。
私はこれをキャッチしてファーストに投げればアウトでチェンジ。
ところがなんとー
トンネルエラー(笑)
走者一掃で逆転負け。
やれやれ。
こりゃまた監督、コーチからボコボコだな・・・
試合後、円陣を組み、監督からひと言。
「お前らよくやった」
私は怒られる事もなく、責められる事もなく・・・
必死で何年も練習を頑張ってきた同級生達はみんな泣いてました。
心の中ではお前のせいで、お前のエラーで負けたんだ!と思ってたでしょうね。
ただ、誰一人として、私に直接それを言ってきた人はいませんでした。
練習せずにサボって脱走、チャラチャラと時が過ぎるのを待ってただけの私は、みんなに申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
そして私の涙とともに4年間の野球部生活は終わりを告げました。
それ以来、私は、誰にも迷惑をかける事がない、完全自己責任の世界へ。

私の野球には夢も明日もありませんでした。
人に決められ指図される人生の面白くないこと(笑)
やっぱ自分の人生、自分で決めて行動!
そして結果を出すのみです。
いい思い出、とは言えませんが、このことは今の仕事をするきっかけになったかもしれないですね。
ちなみに、小学生時代の親友はただ一人。
こいつは超優秀でイケメン、今は某大手大企業に勤めて海外でも活躍してます。
えーと。剣道部でしたわ・・・笑
今回は小学校3年~6年までの4年間。
野球部編。
小学3年になるとそろそろクラブ活動を、という事で私は剣道をやりたくて剣道部を志望。
ところが、剣道は頭を叩かれるからバカになる!
という祖父と親父の訳のわからない言い分で却下。
おまけに胴着は高く、そんなお金…
野球なら兄貴がやっていたため、グローブもバットもユニフォームも揃ってました。
そして強制的な野球部生活が始まります。
3年、4年あたりはほぼほぼ球拾いなので、そんなにキツくもなく、ストレスも皆無。
ところが5年になったあたりから、練習は毎日、本格的なバッティング練習や守備練習も。
同級生の野球部は多かったのですが、この辺りで3~4人は辞めました。
6年になるとメインで使われる為、その前に私も辞めようと思ってました。
が。
一度やりだした事をやめるだ?
と親父が激怒。
まぁボッコボコですわ。
やりだしたんじゃない、やらせられてるんだ!
子供ながらにそう思ってましたが、小学生なんて無力なもんです。
キャプテンの張り切った感も私には全く合いませんでしたし、そもそも俺より弱ー奴が何キャプテンとかやってんだよ!とか思ってましたw
走ったんか? タイヤ引きしたんか? などのやらされてる感でブチギレ。
誰に言ってんだ!
やりたきゃ勝手にやれ!
と練習はサボる。途中で帰る。
それを家までコーチが迎えに来てはまた強制練習。
それを親父に知られてはボッコボコ。
ところが、人数合わせなのか、奇跡?なのか、これだけやる気が無く、練習をサボっていても、なんとレギュラーになってしまったのです。
レギュラーになりたくてみんな必死で練習してるんでしょうが、私は違いました。
レギュラーで試合に出れば、エラーするかもしれない、三振やミスもするかもしれない。
そうなれば無駄に怒られることになる。
無駄な事を無理やりさせられ、無駄な練習、無駄な時間を費やし、無駄に怒られたのではたまったもんじゃありません。
補欠なら100%ミスする事はない = 怒られることもない。
ベンチでこの図式を狙っていたのにレギュラーって・・・。
私以外は、益々練習に熱が入ってきます。
スクイズを失敗した私に顔面ボール直撃をやってきたコーチ。
目ぶち腫れですが、親からは「下手くそ!」と言われる始末。
そんな時代ですよね(笑)
このコーチ、監督、いつかコ〇ス!
本気でそう思ってました。
書いてる今も怒りがこみあげてくるのは、当時の無力さからなのでしょう笑
今だから言える事。
当時の私は、野球が嫌で嫌で、なんと10円ハゲになりました。
ま、ストレスですね。
それでも辞める事ができなかった野球。
そんな時大事件は起こります。
小学6年。
県大会出場をかけた夏の地区予選。
相手はウチが今まで一度も勝った事のないチーム。
練習試合ですら足元にも及ばなかったのですが、この日、なんと途中まで3対2で勝ってました。
そして迎えた6回。
ツーアウト、ランナー二三塁。
痛烈なライトゴロ。
私はこれをキャッチしてファーストに投げればアウトでチェンジ。
ところがなんとー
トンネルエラー(笑)
走者一掃で逆転負け。
やれやれ。
こりゃまた監督、コーチからボコボコだな・・・
試合後、円陣を組み、監督からひと言。
「お前らよくやった」
私は怒られる事もなく、責められる事もなく・・・
必死で何年も練習を頑張ってきた同級生達はみんな泣いてました。
心の中ではお前のせいで、お前のエラーで負けたんだ!と思ってたでしょうね。
ただ、誰一人として、私に直接それを言ってきた人はいませんでした。
練習せずにサボって脱走、チャラチャラと時が過ぎるのを待ってただけの私は、みんなに申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
そして私の涙とともに4年間の野球部生活は終わりを告げました。
それ以来、私は、誰にも迷惑をかける事がない、完全自己責任の世界へ。

私の野球には夢も明日もありませんでした。
人に決められ指図される人生の面白くないこと(笑)
やっぱ自分の人生、自分で決めて行動!
そして結果を出すのみです。
いい思い出、とは言えませんが、このことは今の仕事をするきっかけになったかもしれないですね。
ちなみに、小学生時代の親友はただ一人。
こいつは超優秀でイケメン、今は某大手大企業に勤めて海外でも活躍してます。
えーと。剣道部でしたわ・・・笑